もしかしたら未来視してしまった?

いつも通りの毎日の中、学校から電車に乗って帰る。家の最寄り駅について、駐輪場を通った時ぐらいのこと。

ふと空を見上げるとなんか、悲しくなった。別にクリスマスが一人だから、とかそんなことで悲しくなったわけではないと思う。なんだろう。なんて言ったらいいんだろう。そして口にした言葉が

このままだといけない。

だった。これにどんな意味があったのか、その時には分かってたんだと思うけど、こうしてついさっきのことを思い出しながら記事に起こそうとしているときにはなんかぼんやりした感じになっていた。

自分はこれから大学院に進学する。(奨学金等の金銭的な問題が解決しているならば、の話になるけれども。)どうなるんだろう。将来、自分は働いているのだろうか。不安だった。もしかしたらプー太郎になってたりするのかもしれない、と考えるとそれが急に現実味を帯びてきたように感じて怖い。

今でもそうなんだけど、自分は割と大学の友人間の中ではプログラミングが出来るキャラで通っている。趣味はオンラインゲームだ。マクロも組んで作業の効率化もする。言語でいえば、PHPもするしJavaもするし、C++もする。独学ではあるけど何もしてない人達よりは出来る自負はあるし、教えることも出来るだけの知識はある、と信じている。最近ではAndroidアプリも開発したりしている。

だけどそれだけなんじゃないのかな、と思えてしまう。中途半端に手を伸ばしすぎて結局浅い知識しか身に付いてないのではないだろうか、と。

今日は研究室のもう一人の卒論メンバーの卒論を手伝い、大きく前進させた。本人も躓いていた場所をクリアすることができて喜んでいたし、それによって色んな展開ができる可能性が見えたみたい。

でも助けるだけのことが偶然出来ただけなんじゃないのか、と思うとまだ知識は浅く感じる。

自分は果たしてこれからの院での勉学も含めて、人の役に立てるだけの実力を少なからず身に付けることができるのだろうか。フリーターにならず、企業に勤めることができるのだろうか。

できてあって欲しい。そう願うばかりだけど、現状を大きく変えるだけの行動力を自分は持ち合わせていないのかもしれない。もしかしたら現状を帰ることができず、あの時見た未来像そのままに将来なってしまうのかと頭によぎった瞬間、なんて自分は無力な人間なんだろうって。

ぼんやりしてるけどこんな雰囲気。見えた内容も悲惨なものだったし、どうしようどうしよう、と慌てることはできても行動に移すことが出来なければ意味がないのは重々承知してる。

20年後の自分が今の時間軸に戻ってきたんだ、後悔しないために神様がくれたチャンスなんだって自分に言い聞かせながらこれからを……僕は現状を変えるために頑張ることができるだろうか。

頑張りたい。本当に。

そのためにも、私の尻を叩くように叱りつけて欲しい。

そう思った今日この頃……。

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